まなびのまとめ

読んだ本、考えたことのアウトプットの場として

【読書】還暦からの底力 著者:出口治明さん

 

いつもお世話になっているMr.PDCAがこちらで紹介されていてた本。

 https://pdcadiary.hateblo.jp/entry/2020/07/22/025802

 

今回地元に一時帰省することになり、還暦を超えた親に渡してもいいかなと思い購入。

出口さんはライフネット生命の創業や2018年から立命館アジア太平洋大学(APU)の学長に就任している。

 

「飯・風呂・寝る」から「人・本・旅」の生活スタイルにしようとのメッセージが繰り返し書かれている。また、「世界経営計画」のサブシステムを担おうとも。還暦を超えた人への言葉かもしれないが、どの世代にも必要なこと。どの歳になっても自己研鑽を継続し人生を楽しむことが大事。

 

教養についての考え方も興味深かったので抜粋する

では「おいしい人生」を因数分解するとどうなるか。答えはおいしいご飯と一緒で、いろいろな材料を集めることと、それらを上手に料理することです。

おいしい人生における食材とは「知識」であり、上手に料理する力は「考える力」です。まず、材料である知識がなかったら何もできません。ただし、材料を集めてもそれを人生において具体的に活用する力がなかったら、おいしい人生を楽しむことはできません。

以上をまとめれば「教養=知識×考える力」という式になり、これはおいしい人生をおくるには必須のものです。 p.153

きっとこれに加えて、おいしく作られた料理をおいしく食べられるように感じる心持ちも大切な要素(×感じる心 みたいな?)。

考える力も料理と同じで、最初は考える力の高い人の真似から入り、試行錯誤を繰り返しながら自分のものにしていく。具体的には考える力の高い人が書いた本を読むことです。それは歴史的に長く読み継がれてきた古典に他なりません。p.155

古典を学ぶ重要性として、思考パターンや発想の型を学ぶという視点はなかった。出口さんが、料理も親からレシピを教えてもらい真似をしながら学ぶとの例えを出していたが、考える力もそうだといわれると、なるほどなと思う。

 

読むべき古典として以下を挙げていたので今後読んでみる

メモ

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定年を廃止するメリット

  1. 健康寿命が延びる
  2. 医療・年金財政を払う側にシフト
  3. 会社が年功序列から業績序列にシフト
  4. 中高年の労働意欲の増加
  5. 労働力の確保

ただし、いつ仕事を辞めるかは個人の自由。

 

新しい分野に入るときの行動

  1. 関連法令を調べる
  2. 経験者に話を聞く

関連法令を調べるというのはこれまで想像もしていなかったこと。JR東海社長を経てNHK社長を務めた松本正之さんが紹介してくれたアプローチ

【読書】失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織 著者:マシュー・サイドさん

https://www.amazon.co.jp/dp/B01MU364ID/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1

 

失敗から学ばない組織(本書では医療現場を例)、失敗から学ぶ組織(航空業界)、失敗を受け入れない人、受け入れて成長・改善するために活用する人を様々な実例を挙げて分かりやすく説明してくれている。

 

筆者は「クローズド・ループ」、「オープン・ループ」との言葉を用い、失敗が適切に処理され、将来に活かされるためにオープン・ループの組織であるべきだと主張している。医療現場はミスに対して「偶発的な事故」、「不測の事態」と捉えがちだが、航空業界は、失敗を検証する仕組みづくりができている。

 

「人の失敗から学びましょう。自分で全部経験するには、人生は短すぎます」 p.439 

 米第32代大統領夫人、エレノア・ルーズベルとさんの言葉。

 

何か失敗したときに、「この失敗を調査するために時間を費やす価値はあるのだろうか?」と疑問を持つのは大きな間違いだ。時間を費やさなかったせいで失うものは大きい。失敗を見過ごせば、学習も更新もできないのだから。p.554 

 勤め先のプロジェクトがとん挫したことがあったが、果たしてその失敗が適切に活かされているかはまだ分からない。ただ、失敗と向き合うとしている姿勢や何かを変えていこうとする動きは感じ取れる。

 

適切なフィードバックの大切さ

筆者は暗闇でゴルフの練習をいくら行っても決して上達することはないと言っている。それは、打ったボールがどこに飛んだか分からないので改善する余地がないとのこと。心理療法士の能力が向上しづらいのも、治療の長期的な影響に関するフィードバックがないからだ。人生は学びの連続であるが、トライ&エラーを素早く行い、フィードバックを適切に受ける環境に身を置く、あるいは仕組みづくりをすることの大切さを教えてもらえる。

なぜ人は失敗から学ぶことは困難なのか

「認知的不協和」:自分の信念と事実が矛盾している状態

フェスティンガーが提唱した概念

・カルト集団が教祖の予言が失敗してもその解釈を変える

・参加する討論会が退屈であったとしてもその会に参加するため、大変な努力をすると討論会を過大評価する

イデオロギーが科学を殺す

トロフィム・ルセインコ:ソ連生物学者

メンデルの法則には根拠となるデータがあったが、ルセインコはスターリンにメンデルの学説を非合法化してもらった。そのため、ソ連では大勢の遺伝学者が処刑や強制収容所行にされた。

ルセインコは高密度の田植えを提唱。

「同種の植物は互いの成長を阻害しない」という持論が、マルクス毛沢東の哲学と沿う理論であった。

毛沢東はルセインコの学説に基づく農業開発を推し進めたが、この学説は検証が行われていなかったため、作物はうまく育たず土が痩せてしまい、推定で2000~4300万人もの人が飢饉により死亡した。

 

間違えることの重要性

 ユニリーバーのノズル改良の話。改良がうまく進まなかったが生物者チームによる改良が一番成果を上げた。

方法:ノズルの複製を作り、わずかな変更を加え、どのような違いが出るかテスト

    449回の失敗を経て、ノズルのデザインを作った。

 

 試行錯誤をすることの大切さ。トライ&エラーを何度も素早く回す。

ランダム化比較試験(RCT)による検証

ケニアのある地域で教科書を無料配布するプログラムがあったが、無料配布には効果がなく、むしろ駆虫薬の配布に効果があった。

Googleで広告のクリック率を高めるために背景の色を決める時も、RCTを利用し、利用者をランダムに背景が異なるページに飛ばし検証を行った。

 

成長する人の考え方

成長型マインドセット:失敗を自分の力を伸ばす上で欠かせないもの

固定型マインドセット:失敗を「自分に才能がない証拠」として受け止める

 

グリッドスコア:失敗しても根気強く「やりぬく力」のスコア

 

自分の考えや行動が間違っていると指摘されるほどありがたいものはない。そのおかげで、間違いが大きければ大きいほど、大きな進歩を遂げられるのだから。批判を歓迎し、それに対して行動を起こす者は、友情よりもそうした指摘を尊ぶと言っていい。己の地位に固執して批判を拒絶する者に成長は訪れない p.3831

人から指摘されると反射的にプライドが許さず受け入れられないときもあるかもしれない。しかし、指摘は自分を向上する機会だと捉え、受け入れることが大切。

 

事前検死

プロジェクトを実施する前にプロジェクトが失敗した状況を想定し、プロジェクトがうまくいかなかった理由を挙げていく。

 

これは面白い手法だと思うし、小さなチームでもできそうなことだと思う。

 

 

 

 

 

 

【読書】生き方 著者:稲盛和夫さん

 

生き方

生き方

 

仏教的な思想には小さなころから触れているので似たような考え方が多くでてきて共感できる。仕事に真剣に取り組むこと、誠実であること、嘘をつかないこと、自分を見つめなおすことなど人間としてよくあろうとする姿勢が素晴らしいことだと思う。

仕事を通して心を磨けとビジネスパーソンに対して贈るエールのような内容。

「人は何のために生きるのか」という根本的な問いに真摯に向かい、稲盛さんの答えをまとめてくれている本。

 

以下本文(pはkindle版)

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混迷の時代だからこそ「生き方」を問い直す

閉塞的な状況が社会を覆いつくしているのはなぜなのでしょうか。それは、多くの人が生きる意味や価値を見いだせず、人生の指針を見失ってしまっているからではないでしょうか 。(中略)

そういう時代にもっとも必要なのは、「人間は何のために生きるのか」という根本的な問いではないかと思います。p.104

 魂を磨いていくことが、この世を生きる意味

 私たち人間が生きている意味、人生の目的はどこにあるのでしょうか。もっとも根源的ともいえるその問いかけに、私はやはり真正面から、それは心を高めること、魂を磨くことにあると答えたいのです。p.121

 

 「この世へ何をしにきたのか」と問われたら、私は迷いもてらいもなく、生まれたときより少しでもましな人間になる、すなわちわずかなりとも美しく崇高な魂をもって死んでいくためだと答えます。

俗世間に生き、さまざまな苦労を味わい、幸不幸の波に洗われながらも、やがて生き途絶えるその日まで、倦まず弛まず一生懸命に生きていく。そのプロセスそのものを磨き砂として、おのれの人間性を高め、精神を修養し、この世にやってきたときよりも高い次元の魂をもってこの世を去っていく。私はこのことより他に、人間が生きる目的はないと思うのです。p.134

 自分も小さいときになぜ自分が生きているのかと自分に問いかけていた。親に聞くと「自分にしかできないことがあるから生まれてきた」と。自分が生まれてきた意味はずっと分からないのかもしれないが、自分がいない世の中より自分がいる世の中の方が少しでも良くなっていたら万々歳なのかな。

単純な原理原則が揺るぎない指針となる

才覚が並外れたものであればあるほど、それを正しい方向に導く羅針盤が必要となります。その指針となるものが、理念や思想であり、また哲学なのです。p.155

 

人格というものは「性格+哲学」という式で表せると、私は考えています。(中略)

つまり、性格という先天性のものに哲学という後天性のものをつけ加えていくことにより、私たちの人格―心魂の品格―は陶冶されていくわけです。p.159

 

哲学という根っこをしっかりと張らなければ、人格という木の幹を太く、まっすぐに成長させることはできないのです。

では、どのような哲学が必要なのかといえば、それは「人間として正しいかどうか」ということ。p.164

 

嘘をついてはいけない、人に迷惑をかけてはいけない、正直であれ、欲張ってはいけない、自分のことばかりを考えてはならないなど、だれもが子どものころ、親や先生から教わった―そして大人になるにつれて忘れてしまう―単純な規範を、そのまま経営の指針に据え、守るべき判断基準としたのです。p.172

 京セラを27歳の時に経営するときに指針にしたこと

戦後の日本は、戦前に道徳が思想教育として誤って使われたという反省と反動から、これらをほぼタブー視してきました。p.184

 倫理や道徳について

 人間の真理は懸命に働くことで体得できる

お釈迦さまは、悟りの境地に達する修行法の一つとして。「精進」することの大切さを説いています。精進とは、一生懸命働くこと、目前の仕事に脇目もふらず打ち込むことです。私は、それが私たちの心を高め、人格を鍛錬するためにもっとも大事で、一番有効な方法であると考えています。p.195

 

働くということは人間にとって、もっと深淵かつ崇高で、大きな価値と意味をもった行為です。労働には、欲望に打ち勝ち、心を磨き、人間性をつくっていくという効果がある。単に生きる糧を得るという目的だけではなく、そのような副次的な機能があるp.203

 

一つのことに打ち込んできた人、一生懸命働きつづけてきた人というのは、その日々の精進を通じて、おのずと魂が磨かれていき、厚みある人格を形成していくものです。p.216

 

ラテン語に、「仕事の完成よりも、仕事をする人の完成」という言葉があるそうですが、その人格の完成もまた仕事を通じてなされるものです。いわば、哲学は懸命の汗から生じ、心は日々の労働の中で錬磨されるのです。p.219

 「考え方」を変えれば人生は一八〇度変わる

人生・仕事の結果=考え方×熱量×能力p.236 

 考え方にはマイナスポイントがあると

 つねに前向きで建設的であること。感謝の心をもち、みんなといっしょに歩もうとする強調性を有していること。明るく肯定的であること。善意に満ち、思いやりがあり、やさしい心をもっていること。努力を惜しまないこと。足るを知り、利己的ではなく、強欲ではないことなど p.261

 プラスの方向の考え方について

心に描いたものが実現するという宇宙の法則

仏教には、「思念が業をつくる」という教えがあります。p.270

 

思ったことが原因となり、その結果が現実となって表れてくる。だから考える内容が大切で、その想念に悪いものを混ぜてはいけない、と説いているp.272

 

人生は心に描いたとおりになる。強く思ったことが現象となって表れてくる――まずはこの「宇宙の法則」をしっかりと心に刻みつけてほしい

 確かに思いは大事。思い続けてれば行動も変わってくる。

求めたものだけが手に入るという人生の法則

私もまた、自らの人生経験から、「心が呼ばないものが自分から近づいてくるはずがない」ということを、信念として強く抱いています。p.380 

 

したがって事をなそうと思ったら、まずこうありたい、こうあるべきだと思うこと。それをだれよりも強く、身が焦げるほどの熱意をもって、そうありたいと願望することが何より大切になってきますp.384

 

そんな方法は私も知りませんのや。知りませんけども、ダムをつくろうと思わんとあきまへんなp.401

 ダム式経営をするアドバイスを求められたときの松下幸之助さんの回答

寝ても覚めても強烈に思いつづけることが大切

思わんとあきまへんあ―この松下さんのつぶやきに私は、「まず思うこと」の大切さを伝えていたp.408

 

だれの人生もその人が心に描いたとおりのものである。思いはいわば種であり、人生という庭に根を張り、幹を伸ばし、花を咲かせ、実をつけるための、もっとも最初の、そしてもっとも重要な要因なのであるp.413

 

ただ願望を成就につなげるためには、並みに思ったのではダメです。「すさまじく思う」ことが大切。漫然と「そうできればいいな」と思う生半可なレベルではなく、強烈な願望として、寝ても覚めても四六時中そのことを思いつづけ、考え抜く。p.417

 

不可能を可能に変えるには、まず「狂」がつくほど強く思い、実現を信じて前向きに努力を重ねていくこと。それが人生においても、また経営においても目標を達成させる唯一の方法なのです。p.430

 これができる人は強いな。。。

現実になる姿が「カラー」で見えているか

ああなったらいい、こうしたいということを強く思い、さらには強く思うだけでなく、その実現へのプロセスを頭の中で真剣に、こうしてああしてと幾度も考え、シミュレーションをくり返すp.436

 

しかも、それが白黒で見えるうちはまだ不十分で、より現実に近くカラーで見えてくる――そんな状態がリアルに起こってくるものp.443

 

「もう、これ以上のものはない」と確信できるものが完成するまで努力を惜しまない。それが創造という高い山の頂上をめざす人間にとって非常に大事なことであり、義務ですらあるのですp.468

細心の計画と準備なくして成功はありえない

楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に行動するp.526

病気になって学ばされた心の大原則

人生で出会う事柄はみんな自分の心が引き寄せたものである。病気もその例外ではない。すべては心の様相が現実にそのまま投影するのだp.557

 心が病気を呼び寄せるとは思ったことはないが、心の強さによって病気を克服できるかどうかは強くかかわると思う。

恐れていたからこそ、そのとおりのことがわが身に起こった。否定的なことを考える心が、否定的な現実を引き寄せたのだと思い知らされた。

運命は自分の心次第だという真理に気づく

 これ以上、この境遇を呪っていてもしかたがない、ここは一八〇度気持ちを切り替えて、仕事に精を出し、必死に研究に取り組んでみようと腹を据えた

 覚悟と勇気。

心の持ち方を変えた瞬間から、人生に転機が訪れ、それまでの悪循環が立たれて好循環が生まれ出したのです。このような経験から、私は人間の運命はけっして敷かれたレールを行くかのように決定されているものではなく、自分の意志でよくも悪くもできるのだということを確信するようになりました。p.596

 

自分に訪れる出来事の種をまいているのはみんな自分なのです。p.602

 

思いという絵の具によって、人生のキャンパスにはその人だけの絵が描かれる。だからこそ、あなたの心の様相次第で、人生の色彩はいかほどにも変わっていくp.606

 きれいな表現

あきらめずやり通せば成功しかありえない

いっけん無理だと思える高い目標にもひるまず情熱を傾け、ひたむきな努力兼さんを惜しまない。そのことが私たちの能力を、自分自身もびっくりするほど伸長させるp.630

 

できないことがあったとしても、それはいまの自分にできないだけであって、将来の自分になら可能であると未来進行形であることが大切p.633

これ大事。始めるときはみな経験がない。勇気をだしてまずやってみること

努力を積み重ねれば平凡は非凡に変わる

結局のところ、人生とはその「今日1日」の積み重ね、「いま」の連続にほかなりませんp.673

 

いまという瞬間瞬間に全力を傾注して生きることによって、そのとき見えなかった未来の姿がたがて自然に見えるようになってくるものp.682

目の前のことに真剣に取り組むことが大事。

迷ったときの道しるべとなる「生きた哲学」

指針なき選択は海図を持たない航海のようなものであり、哲学不在の行動は灯火もなしに暗い夜道を進むようなものp.884

 

自分たちの利益ではなく他社の利益を第一義とする――その経営の原理原則を貫いたことが、成功への道をつないだp.910

 

世の風潮に惑わされず、原理原則を死守できるか

ただ長い目でみれば、確固たる哲学に基づいて起こした行動は、けっして損にはならないものです。一時的には損に見えても、やがてかならず「利」となって戻ってくるし、大きく道を誤ることもありませんp.919

 

しかし私は、土地を右から左へ動かすだけで多大な利益が発生するなんて、そんなうまい話があるはずがない。あるとすれば、それはあぶく銭であり浮利にすぎない。簡単に手に入るお金は簡単に逃げていくものだ。p.932

自分の人生ドラマをどうプロデュースするか

むずかしいが、どうしても解決を要する問題に直面したとき、その困難さから目をそらして逃げてしまうか、正面切ってそれに立ち向かうことができるか、そこが大きな成功を手にすることができるか否かの分かれ道p.1031

昔、寮に住んでいた時も「困難から逃げても、困難から逃げる自分からは逃げなれない。だから立ち向かうしかない」と先輩から励まされた気がする。心が弱っている場合は休憩が必要だけれども、励ましが必要であるときにはこの言葉はとても強い言葉だと思う。

「好き」であればこそ「燃える」人間になれる

物事をなすには、自ら燃えることのできる「自燃性」の人間でなくてはなりません。p.1103

 

①火を近づけると燃え上がる可燃性のもの。②火を近づけても燃えない不燃性のもの。③自分で勝手に燃え上がる自燃性のもの。p.1105

 

物事をなすには、自ら燃え上がり、さらに、そのエネルギーを周囲にも分け与えられる人間なのです。けっして、他人からいわれて仕事をする、命令を待って初めて動き出すという人ではありません。いわれる前に自分から率先してやりはじめ、周囲の人間の模範となる。そういう能動性や積極性に富んでいる人なのです。p.1115

 

自ら燃える体質を獲得するにはどうしたらいいか。その最大にして最良の方法は、「仕事を好きになる」ことp.1119

 

どんな仕事であっても、それに全力で打ち込んでやり遂げれば、大きな達成感と自信が生まれ、また次の目標へ挑戦する意欲が生まれてきます。p.1122

自分に打ち勝ち前に進め、人生は大きく変わる

では、自分の仕事がどうしても好きになれないという人はどうすればよいか。とにかくまず一生懸命、一心不乱に打ち込んでみることp.1137

 

そのときに大切なことは「自分に打ち勝つ」ことだといえるでしょう。つまり利己的な欲望を抑えること、自分を甘やかそうという心をいさめること。それができなければ何事も成し遂げることはできないし、もてる能力を最大限に発揮することもできません。

厳しい言葉だし、意識して行動することはもっと難しい。習慣にできたら勝ち。

人の真の能力とは、そうした物事に愚直に取り組む克己心まで含むものかもしれません。いくら能力があろうが、自分に負け安逸に流れ、正面からの努力を惜しむのは、つまりは「自分のもって生まれた才を活かす」といういみでの能力に欠けているといえるp.1166

 持続できるのも才能のうち

複雑な問題も解きほぐせばクリアに見えてくる

「ここに信号のない平面交差の十字路があります。信号がないため四方か車が流れ込んで、進むも退くもままならない大混乱が起きています。このままでは、この混乱を解決することができません。しかし、それは平面交差という二次元の世界の中で買いを見つけようとしているからです。ここに『高さ』というファクターを加える。すなわち三次元の視点を持ち込むと、どうなるでしょうか」「つまり、この十字路は平面交差ではなく立体交差しているとすれば――そう、信号がなくても、車はスムーズに流れることになります。私の発想もそういうことでした。いっけん複雑に見える現象も単純な構造の投影にすぎないことが多い。そこで視点を変えて、あるいは視点の次元を一つ上げて問題を見つめなおしたとき、その答えが実に明快に導き出されてきたわけです」p.1203

 稲盛財団副理事長である数学者の広中平祐さんの言葉

日本人はなぜその「美しい心」を失ってしまったか

したがって、どのようにすぐれた能力も、それが生み出した成果も、私に属しながら私のものではありません。才能や手柄を私有、独占することなく、それを人様や仕事のために使う。つまり、おのれの才を「公」に向けて使うことを第一義とし、「私」のために使うのは第二義とする。私は。謙虚という美徳の本質はそこにあると考えています。p.1325

 

大企業のトップ、幹部、官僚、みんな人並みすぐれた能力に恵まれた人たちばかりです。それなのに、なぜ不祥事や汚職が後を絶たないのか。それは、才を私物化してしまったからにほかなりません。p.1334

「大学は大学に行けなかった人のためにある」との言葉も懐かしく思い出す

リーダーには才よりも徳が求められる

そこには、戦後の日本を覆い尽くしてきた経済成長至上主義が背景にあるのでしょう。人格というあいまいなものより、才覚という、成果に直結しやすい要素を重視して、自分たちのリーダーを選ぶ傾向が強かったp.1351

 

わが敬愛する西郷隆盛も。「徳高き者には高い位を、功績多き者には報奨を」と述べています。つまり功績にはお金で報いればいい、人格の高潔な者こそ高い地位に据えよp.1358

会社もこうならないかな笑 尊敬できる人のもので働くのが働きやすいと思う。

働く喜びは、この世に生きる最上の喜び

私は、人間がほんとうに心からの喜びを得られる対象というものは、仕事の中にこそあると思っています。そういうと、仕事一筋では味気ない、人生には趣味や娯楽も必要だという反論が返ってくるでしょう。しかし趣味や遊びの楽しさとは、仕事の充実があってこそ味わえるもので、仕事をおろそかにして趣味や遊びの世界に喜びを見出したとしても、一時的には楽しいかもしれませんが、けっして心から湧き上がるような喜びを味わうことはできないはずです。

もちろん仕事における喜びというのは、飴玉のように口に入れたらすぐ甘いといった単純なものではありません。労働は苦い根と果実をもっているという格言のとおり、それは苦しさやつらさの中からにじみだしてくるもの。仕事の楽しさとは苦しさを超えたところにひそんでいるものなのです。p.1666

労働の意義、勤勉の誇りを取り戻そう

労働はお金を得るために行わなくてはならない苦役だから、なるべく楽をして、多くのお金をもらうのが「合理的」であるという考え方が生まれてきます。このような労働観は日本の社会を広く覆い、たとえば教育の現場にも浸透していきました。p.1757 

 

何か熱心に働くことが罪悪であるかのような風潮がまかり通る時代を経て、いまでは勤勉の価値はかなり下位に追いやられています。余暇を精神的な余裕の母体として考える欧米流の労働スタイルを、私は否定しようとは思いません。しかし、それを無批判に受け入れて、働くことの価値を軽視するような振る舞いは大きな間違いであると思う。p.1768

うーむ。働くこと自体を軽視する流れがあるのかどうかはわからない。

人類が目覚めたとき「利他」の文明が花開く

これ以上、経済的な富のみを追い求めるのはやめるべきです。国や個人の目標を物質的な豊かさだけに求めるのではなく、今後はどうすればみんなが心豊かに暮らしていけるかという方向を模索すべきです。それが老子のいう、「足るを知る者は富めり」という「知足」の生き方です。欲しいものが手に入らないときは、手に入るものを欲しがれとの格言もあります。「満足こそ賢者の石」。知足にこそ人間の安定があるという考え方や生き方を、私たちは実践していく必要があるのです。p.2182

清潔な水にアクセスできない。食べ物に困る。学ぶ機会がないなどの基本的な問題は解決されるべき。それ以外は賛成。

ただ人間の欲はなくならないのでこれは難しい問題。

(ネガティブな気持ちでの)比較では幸せにはなれないので、絶対的幸福感を得るために自分の心を見直す必要がある。

結果に焦るな、因果の帳尻はきちんと合う

因果応報の法則というものが見えづらく、それゆえに容易に信じることができないのは、物事を短いスパンでしかとらえていないからです。ある思いや行いが結果として現われてくるには、やはりそれ相応の時間がかかり、二年や三年といった短い単位では結果は出にくいものp.2282 

 因果応報。今どのような因を積んでいるかが大切。怖い反面、希望でもある。

人のあるべき「生き方」をめざせ、明るい未来はそこにある

一生懸命働くこと、感謝の心を忘れないこと、善き思い、正しい行いに努めること、素直な反省心でいつも自分を律すること、日々の暮らしの中で心を磨き、人格を高め続けること。すなわち、そのような当たり前のことを一生懸命行っていくことに、まさに生きる意義があるし、それ以外に、人間としての「生き方」はないように思います。

稲盛さんのメッセージ

 

 

 

【中国語学習】隐秘的角落

最近流行ってる中国のドラマ12話見終わりました。中国語学び始めてから中国語ドラマ通して始めたのは初めてかも。

https://baike.baidu.com/item/%E9%9A%90%E7%A7%98%E7%9A%84%E8%A7%92%E8%90%BD/49921901

 

子どもが話す内容は難しくないので勉強にはよかったです。

【Linked In講座】判断力を向上させる

サンクコストの件は特に気を付けないといけない。

事業を始めるときは撤退条件を明確にしないとずるずる引きずってしまう。

 

//以下メモ

1.基準率を考慮

自動車事故の4分の3が自宅から40キロ圏内で起こる

基準率の考慮:過去の出来事によって無条件化された基礎となる確率

家の近くで運転する時間が90%であった場合、自宅近くの方が安全。

iPhoneを壊す:キッチンで一番壊す
家で過ごす時間の基準率:10%と仮定→危ない
            30%と仮定→安全

統計では基準率を知ることが大事

2.確証バイアスを意識する
自分の見解に一致する情報をを意識的に取得し、
反する情報は無視する

 

3.可用性バイアスにとらわれない

決断するときによく考える
- なぜそう決断するか
- 最近知った情報による影響か

4.後知恵バイアスを避ける
すでに発生した出来事を発生前よりも予測可能であるとみなす傾向

- 将来は予測できない
- データを使う
- 可能性を修正しない
- 計画を立てる

5.自信過剰バイアスを防ぐ
直感を根拠なく信じすぎること

- 過去の成功は将来の成功を保証しない
- 事実を再確認

6.サンクコストの誤りから抜け出す
すでに費やされて取り戻せないリソース
失敗したプロジェクトにリソースを注ぎ続ける

- プロジェクトの継続を検討する
- 外部の意見を求める
- 自身の間違いを許す

「怒り」を上手にコントロールする技術アンガーマネジメント実践講座 著者:安藤俊介さん

 

 https://pdcadiary.hateblo.jp/entry/2020/07/03/001511

いつも読んでるMr.PDCAさんが紹介していたので手に取ってみた。

怒りは二次感情。怒る理由は自分が信じる「べき」が裏切られたとき。この「べき」がコアビリーフというものなど、普段の怒りの感情を分かりやすく説明してくれている。怒りという感情を客観的に見ることは少なく、新しい視点を教えてくれた興味深い本でした。

 

自分が最近覚えている大きな怒りは、おいしいと勧められたイタリア料理に行って出された魚料理がとても塩っぱたかったとき(すごくくだらないですが笑)。味付け自体は塩ベースでだったのだが、皮の表目に近いところは食べられないほど塩味がついていて、スタッフを呼んで味付けが間違っていないか確認したぐらい。

ここでのコアビーフは塩の味付けの魚料理であっても塩味が食べれないほど強すぎる「べき」ではないというコアビリーフがあったのだと今思うと考えることができた。

以前知り合いと電車に乗っていた時にも、男の日本人が中国人の女性に対して車内で電話を使うなと注意しているところを見た。その女性は男の人を無視し続けたため、電車を降りるときに腕を掴み言い争いになっていたところを止めに入ったことがある。この男性のコアビリーフは電車では通話をする「べき」ではないとのコアビリーフと、指摘しているのにも関わらず、言うことを聞かない不満があったのだと思う。(不満は1次感情かはわかりません。。。)このように、怒りは2次感情ということを意識することは、その背景にある1次感情を探り人間関係の解決につながるのだなと思う。

 

//以下本文 (pはkindle版)

アンガーマネジメントとは、「怒りの感情と上手に付き合い、振り回されないようコントロールする技術」p.8

 

そもそもアンガーマネジメントとは、1970年代にアメリカで始まったとされています。当初は、カウンセラーやセラピスト達の間で、怒りの感情と上手に付き合う方法があるという共通認識があった程度のことでした。p.365

 

アンガーマネジメントは怒らないことではなく、怒る必要のあることは上手に怒り、怒る必要のないことは怒らなくて済む、その線引きが上手く引けるようになること p.458

 

私達が怒る時、それは何かが侵害されている、何かの脅威に直面しているということです。だから、怒りという感情を使って、その何かを守ろうとしているというのが、科学的に正しい説明になります。p.498

4つの怒り

  1. 強度が強い:ちょっとしたことでも激高
  2. 持続性がある:ネチネチと昔のことをひきずる
  3. 頻度が高い:一日中イライラ
  4. 攻撃性がある:他人、自分、モノに当たる

怒りは二次感情と呼ばれています。p.543

これは素晴らしい発見。こんな風に怒りを捉えたことはなかった。

怒りの感情というのは、目に見えて表現されている部分はほんの一部分で、実はその怒りの感情の裏には、不安だ、苦しい、寂しい、悲しい、辛い、といった一般的にいうところのマイナスな感情が隠れています。この隠れた感情を一次感情と言います。p.555

 

怒っている人は怒っているということが一番伝えたいことではなく、その裏に隠れている一次感情を理解してほしいと思っている p.555

男女間の喧嘩とかでもありそうな例。彼女が怒っているけれどもその1次感情がわからない男性みたいな構図。自分も疎いので何ともですが。。。

クレームに対応するときなどは、この第一次感情を上手に聞けるかどうかで、対応の可否が決まるといっても過言ではありません。 p.570

 

ちなみに、筆者の魔法の言葉は「そういうこともあるか」です。p.685

怒りを感じたときに自分に言い聞かせて落ち着かせる言葉。

自分の場合は、「まぁいっか」かなと。父親に小さいころからの口癖だといわれたことがあります。きっとストレス回避のために使っていたのかと。

私達が怒る理由、それは自分が信じる「べき」が目の前で裏切られた時です。「べき」とは「~するべき」「~するべきでない」の「べき」です。 p.711

 

アンガーマネジメントでは、この「べき」のことをコアビリーフと呼んでいます。(中略)

自分の中で価値観の核になっているようなものです。p.717

 

自分を本当に怒らせる理由はすべて自分の中にあるコアビリーフだったのです。つまり、自分が怒る原因を作っていたのは他ならぬ自分だったといいことです。p.773

これは強い言葉だと。これを知ってる方が怒りをうまくコントロールできそう。

出来事そのものには意味はなく、それをどう意味づけするかに私達の感情は大きく左右され、その意味づけをする時の元になっているものがコアビリーフになります。 p.785

ほんとそう。過去の結果は変えれないが意味は変えられる。過去の失敗も今生きるための活力になれば、失敗も成功するために力になる。

 

結論から言ってしまえば、怒るということは、相手にリクエストを伝えることです。 p.999

昔どっかで、怒ると叱るは違うと知った。怒るは感情、叱るは相手のことを考えて指摘すること。相手を変えるのが目的であるなら、どのような方法が効果的なのかを考える必要がある。中学生の時から寮生活をしていたが、生活をするなかでも学んだことでもある。

また、中2の時に高校3年生の先輩に聞いた話が今でも残っている。それは、相手を指さして「お前が変われ」といったときに、人差し指は相手に向かっているが中指、薬指、小指は自分の方に向いている。相手に変われというなら、自分がその3倍変わらないといけないと。変わってほしい相手に対して、どのように自分を変え、接すればいいのかを真剣に考えさせてくれた言葉でした。

 

怒り方の3つのポイント

  1. リクエストが明確
  2. 怒る基準の納得性が高い
  3. 穏やかな表現を使う

解決志向での問題解決とは、平たく言ってしまえば、問題や原因はとりあえず置いておいて、これからどうすればいいかを中心に考えるという考え方です。 p. 1765

ソルーションフォーカスアプローチのこと

 

職場での怒りのタイプ

  1. 正義感がつよい
  2. 何事にも白黒つける
  3. プライドが高い
  4. 頑固で人の意見を聞かない
  5. 慎重に考える
  6. とにかく行動したい

あなたにはどのような不毛なコアビリーフがあるでしょうか。実は、不要なコアビリーフを見つけること自体は比較的簡単なのですが、そのコアビリーフを健康的なものに書き換えるのには相当な労力がかかります。

なぜなら不毛なコアビリーフは、コアビリーフの中でも頑固で、すぐに変わることを拒むものであることが多いからです。

逆に言えば、自分が持っている不毛なコアビリーフを手放すことができたり、書き換えることができれば、人生はより楽しく、幸せに満ちたものに変えることができます。

筆者からのメッセージ。

良い価値観を自分の中に持つことがとても大事。

【読書】服従の心理 著者:スタンレー・ミルグラム

 

服従の心理 (河出文庫)

服従の心理 (河出文庫)

 

とても読み応えがありました。最後に書いてある翻訳者の見方も面白いです。

世の中には権威というものがたくさんある。生まれたころは親、学校、会社、国など言い換えると自分が信じている対象と言ってもいいのかもしれない。人は何かを信じなければ行動はできない。水道に毒が入っていないと信じてるからこそ水道水は飲めるし、橋が崩れないと信じるからこそ橋を渡る。医者から処方された薬は黙って飲む。ただ信じている対象が本当に正しいかどうかの自分(もちろん他人の多角的な視点)で判断しないと、ただ権威に服従するだけになってしまう。権威が正しかった場合は、服従して幸せになるのかもしれないが、間違っていた場合は不幸になる。権威がある人も等しく人であり、人には絶対というものはない。すべてを疑うことはできないが、健全な懐疑心を持つことは大切なんだと思う。信に値するものはなにかを行動を通して学んでいく必要がある。

 

本書の内容は、実験者、学習者、被験者の3つの役割があり、実験者と学習者はグル。

学習者が問いを間違えると被験者が学習者に対して電流を流し(実際には流れていない)、学習者が間違うごとに電流の強さを強くすることを実験者から指示される。強い電流を流すと学習者が実験を中止するように依頼するが、実験者は実験を続けるように指示。被験者がどの強さの電流まで流すか色々なパターンを用意し実験をする。実験の内容・結果・考察がまとまってる。

 

以下本文(ページ数はkindle版)

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服従の本質というのは、人が自分を別の人間の願望実行の道具として考えるようになり、したがって自分の行動に責任をとらなくていいと考えるようになる点にある。この重要な視点の変化がその人の内部で生じたら、それに伴って服従の本質的な特徴すべてが生じる。考え方の調整、残酷な振るまいの野放図な実行、そしてその人物の体験する自己弁明などは、心理学の実験室だろうとICBM発射基地の司令室だろうと、本質的には似たものとなる。(p.71)

自分で会社を興すか、理念に共感して会社に勤めようと思わない限りは、他の人間の願望実行の道具になってるのかな?会社や組織内でも、もちろん自己実現は可能だし喜びは感じられる。ただ、自分の願望を実現するために行動できている人は少数なのかもしれない。

人類の長く陰気な歴史を考えたとき、反逆の名のもとに行われた忌まわしい犯罪よりも、服従の名のもとに行われた忌まわしい犯罪のほうが多いことがわかるだろう。 (p.132)

 

服従的な被験者で一番多い調整は、自分が自分の行動に責任がないと考えることだ。(p.239)

 

 実験のほとんどの被験者は、もっと大きな博愛的で社会的に有用な目的―科学的心理の探求―の一部としてとらえていた。(p.272)

 主語が大きくなると行動が正当化される。

 

アイヒマンですら、強制収容所を視察したときには気分が悪くなったけれど、でも実際に大量殺人に参加するにあたり、かれは机に向かって書類をやりとりすればいいだけだった。(中略)

したがってここには、人間行動総体の断片化がある。邪悪な行動を決断してその帰結に直面しなければならない一人の人物というものがいない。行動の全責任を負う人物が消え去っている。これこそ現代社会で、社会的に組織化された悪にいちばんありがちな特徴かもしれない。

したがって服従の問題は、心理学のみにとどまるものではない。社会の様式と形態や、その発展の仕方も大いに影響する。あらゆる状況に人が人間として完全に関わり、したがって完全に人間的な反応を行えた時代が、かつてはあったのかもしれない。だが分業が始まると同時に、状況は変わった。きわめて狭くきわめて専門化した仕事を行う人々に社会を分割してしまうのは、ある点を超えると仕事や人生の人間的な性質を奪ってしまう。人は全体像を見ることができず、そのごく小さな一部しか見えないため、全体としての方向性をもって行動できなくなってしまう。権威に服従するが、その結果として自分自身の行動から疎外されてしまう。(p.306)

うーん。。。断片化により個々が責任を感じづらくなることは確か。ただ分業することによって効率は高まるんだろうな。

全体感や目的を意識して行動することが大事。ただ一番難しいのは、ほとんどの場合その目的が正しいと思って行動すること。これほんと難しい問題。

現代社会の定義はわからないけど、社会が組織化された時点から断片化の問題は起きてる。処刑する人もただその命令に従っているだけとか。「完全に人間的な反応を行えた時代」はいつだろ。

 

今回の反応の理由は、行動が社会にヒラルキーの高い方から低い方に流れるからだ。被験者は自分より高いレベルからくる信号には反応しやすいが、下からくる信号には無関心なのだ。(p.1805)

 本の中にも例があったけど現実社会でもそう。場合によっては、何を言うかより誰が言うかの方が大事だったりする。会社の根回しとか、他の部署の調整とかで役職が上の人から伝えてもらった方が仕事が円滑に進むのはこれに当てはまると思う。

 

まず分析の手始めとして、ヒトが単独ではなく、ヒエラルキー的な構造の中で機能するのだということを考えよう。(中略)

ヒエラルキー的に組織化された集団の形成は、物理環境のもたらす危険や、競合生物種からの脅威、内部からの潜在的な分裂に対応するにあたり、そのように組織されてた者たちにすさまじい優位性をもたらす。(p.2026)

 

実際、ここで提案しているのは単純に服従本能があるというものではない。むしろヒトは服従の潜在能力を持って生まれてくるのであり、それが社会からの影響と相互作用して、服従的な人を作り出す。この意味で、服従能力というのは言語能力のようなものだ。(p.2051)

 

エージェント状態は、服従を言い換えたにすぎないのだろうか。いいや。エージェント状態とは、服従の可能性を高めるような、精神的組織の状態なのだ。服従は、その状態の行動面となる。(p.2437)

 エージェントって言葉自体はじめてみました。日本の一般的な企業に勤めてる場合はエージェント状態なのかな?会社命令で転勤はよく聞く話だし。

過労死などの悲しいニュースも時々目にするが、精神的に逃げ場がないとてもつらい状況なのだと想像できる。

 

正当化の方法の一つは、最後まで続けることだ。もし中断したら、かれは自分にこう言うことになるからだ。「これまで自分がやってきたことはすべて悪いことだった。中断することはそれを自認することだ」。だがもし続けるなら、過去にやったことは裏付けを得ることになる。(p.2467)

 エージェント状態にとどまる理由。オカルト信者が信じ続ける理屈と同じかと。

一部の人は、ナチの例をまじめに考えようとしない。われわれは民主主義社会に住んでいて、専制主義国家にいるのではないからだ。でも現実にはこれで問題がなくなるわけではない。というのも、問題は心理的態度群あるいは政治的組織の一種としての「専制主義」ではなく、権威そのものだからだ。(p.2988)

戦場へ送り込まれる間に、権威はかなり苦労して、兵士の行動の意味合いを、社会全体のもっと大きな目的や、認められた理想に結び付けるように定義づける。新兵は、戦場で出会う敵は国の敵であり、連中を破壊しない限り、自国が脅かされるのだと教わる。残酷で非人道的な行動が正当化されるような形で状況が定義される。ベトナム戦争では、もう一つの要因が残酷な行動を容易にしていた。敵は人種がちがったのだ。ベトナム人たちは、まるで人間以下で同情に値しないとでもいうように「グークども」と呼ばれるのが常だった。(p.3004)

日本の戦争時もそうだし、少年兵の問題もそう。

思想が狂うと、残酷な行動も正当化される。

その日一日を切り抜けて生き延びるだけでも一苦労なのだ。道徳についてなど心配している暇はない (p.3004)

命令が正当な権威からきていると感じる限り、かなりの部分の人々は、行動の中身や良心の制約などにはとらわれることなく、命じられた通りのことをしてしまうのだ。(p.3142)

その教訓というのはつまり、しばしば人の行動を決めるのは、その人がどういう人物かということではなく、その人がどういう状況に置かれるかということなのだ。(p.3444)

賢明なリーダーがいない組織や相互監視が正常に機能していな組織はうまくいかないということかな。

 

理想的な状況は、服従がないことではない。社会が(それなりの相互監視やチェックシステムにより)各種権威をきちんと信頼できるものに保ち、人々はその信頼を前提として、おおむねその権威の言うことに安心して服従する、といういまの社会と大差のない状況が、いちばん穏健かつコストも低くて望ましいものだろう(p.4265)

訳者のあどがきから